当事務所の弁護士は、豊富な知識と経験によって、ご相談者の方にご納得いただける解決となるように最善の努力を尽くします。
女性スタッフが心を込めて対応いたしますので、安心してご相談ください。
弁護士髙木 紀子(たかぎ のりこ)Noriko Takagi熊本県弁護士会所属 56期 依頼された事件を単に処理するだけではなく、依頼してくださる「あなた」の幸せを実現します!
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経歴
1978年 1月 | 茨城県生まれ |
2000年 3月 | 筑波大学卒業(法学専攻) |
2001年 10月 | 司法試験合格 |
2002年 4月 | 司法研修所入所(56期) |
2003年 10月 | 弁護士登録(大阪弁護士会所属) おおぞら総合法律特許事務所(現:弁護士法人ときわ法律事務所)入所 |
2007年 4月 | おおぞら総合法律特許事務所入所 パートナーに就任 熊本県弁護士会に登録換え おおぞら総合法律特許事務所 熊本事務所設立 同事務所に所長として赴任 |
2010年 4月 | 事務所名を「弁護士法人ときわ法律事務所熊本事務所」に改称 |
自己紹介
茨城県日立市で生まれ育ちましたが,司法修習(司法試験に合格した後の研修。私の時は,埼玉の司法研修所で半年,全国各地での実務研修が1年でした)の実務修習地が,希望も出していないのに何故か大阪。そのまま大阪で就職したところ,今度は「熊本に支店を出すぞ!」と言われて熊本に。そのまま熊本に居着いて,もうすぐ丸12年になります。
事務所名に「弁護士法人」とついていることや,私が女性のせいか,「たくさん弁護士のいる大きな事務所」という印象を持たれがちですが,弁護士は私一人の(私が経営する)小さな事務所です。
私は子供のころ,「そんなに本ばかり読んでたら馬鹿になる!」と言われるくらい,本が大好きで,四六時中本を読んでいました。ジュブナイル版の「レ・ミゼラブル」を読んで「一度悪いことをしたからって,今後もずっと悪いことをするはずだ,悪い人間だと決めつけられて,追いかけられるのはなんで?」と憤りを感じ,芥川龍之介の「羅生門」を「社会保障も福祉もないのに,刑罰だけは科せられるなんて!」と(ものすごく見当違いな読み方をして),一人でぷんすかしていました。小さいころから「ちょっと変わってる」と言われて育ってきたので,「世の中」や「社会にあるいろいろなルール」に居心地の悪さや違和感を覚えていて,そういったものを,物語の中の主人公に投影していたのだと思います。そして,「ああもう!なんでこういうことになっちゃうの!なんとかならないの!?」という気持ちを少しでも解消するために,少しでも「なんとか」することに助力できるように,今この仕事をしているのかもしれません。
私は主に,相続や離婚といった「個人的な・家族間のトラブル」を扱っています。「トラブル」の相手は,夫や妻,兄弟姉妹など,ご本人にとって非常に身近な人です。赤の他人に「お金を貸したので返して欲しい」といった請求であれば,「お金を貸したかどうか」,「お金を渡した方法は?」,「返してもらう約束はどのようにしましたか?」と,実際に起こったことや証拠の有無を確認していく作業が主ですが,家族・親族が相手となると,どうしても「気持ち」に関わるところが前面に出てきます。「法律上の争点とは関係ないかもしれないけど,過去にこういうことがあって,それがどうしても許せない。わだかまりになっている」であるとか,「相手とはずっとこういう関係だったので,今更自分がこんな主張をしても聞いてもらえるとは思えない」などなど。「弁護士って,そんな話も聞いてくれるの?」と思われるかもしれません。でも,こういったお気持ちに関することを無視してしまうと,ご自身がどうしたいか,どんな形になれば「解決した」,「安心した」と言えるのかも見えず,法律上の問題を解決することもできなくなってしまいます。「この人になら,自分の気持ちを話してもいいかな」,「この人になら,『こうして欲しい』,『そのやり方はちょっと違うような気がする』と遠慮なく言えそうだな」,「わからないことがあっても,遠慮せず質問ができそうだな」と感じていただき,問題を解決する「心強い味方」になることができればと思っています。
事務局乗田 雅美(のりた まさみ)Masami Norita依頼者の皆様に「ときわ」に依頼してよかったという安心感や幸せを提供することを目指しております。
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経歴
1976年 6月 | 福岡県福岡市生まれ |
1995年 3月 | 日本放送協会学園高等学校卒業 |
2008年 7月 | おおぞら総合法律特許事務所(現:弁護士法人ときわ法律事務所)熊本事務所入所 |
自己紹介
私は、福岡の貧乏家庭の長女として生まれました。学校が嫌いで中学もまともに通わず、なんとか通信制の高校に通いながら、ほぼひきこもりの少女時代を過ごしました。親は不仲で離婚の末、母子家庭に……。
ますます貧乏になったころ、高校卒業の年を迎え、大学進学など考えられず、18歳の私は就職の道を探します。ところが時代は就職氷河期まっただ中。何の取りえもない私は、フリーターとして何となく社会に出ていくしかありませんでした。
将来のビジョンもなく、生きていくための糧として、仕事をこなす毎日。結婚して熊本に来るまでは、書店→保証会社→就職情報会社と、法律とは無縁の世界で転々と働いてきました。そんな私がときわ法律事務所に運良く出会うことができたのは、結婚して余裕ができ、自分の将来を考えるようになったのがきっかけでした。
「自分の人生を豊かにすること、人生をかけて仕事に打ち込むこと、家庭と仕事を両立させることを目標に、時間をかけて勉強をしたい」――そのひとつとして、法律というものを知りたいと考え、学歴のない私がチャレンジできることはないかを探していました。ちょうどそのころ、法律事務という職を得ることができたのは、本当に幸運でした。
入社して感じたのは、法律は私たちの利益や生活を守ってくれるもので、法律を知ることによって、救われることがたくさんあるのだということです。たとえば借金がふくらんでしまってどうしても支払うことができないというときでも、適切な知識とアドバイスがあれば、無理なく返済していくこともできます。そんなことも、事務所に入って初めて知ることができました。
数年前、実家の近所のご主人が、事業に失敗して自殺されたことを思い出しました。そんな悲しい結果になってしまったのは、事業の失敗だけが原因ではなかったかもしれませんが、弁護士の力を借りて借金の整理が少しでもできていれば……と思わずにいられません。
また、実際に弁護士に相談をしたり依頼をしたりする場面というのは、離婚しようと思ったり、親族が亡くなって相続でもめたり、交通事故に遭って怪我をしたりなど、何かトラブルを抱えているときではないかと思います。
法律事務所に勤めていると、相談者・依頼者の人生の中でも一度か二度訪れるかどうかの一大事に、常に接することになります。私の仕事はそれを解決するお手伝いをするという、責任の重い仕事だと感じています。
実際に仕事をしてみると自分の無学さに冷や汗をかくことも多く、依頼者の皆様にご迷惑をおかけしないようにすることで精一杯。そんな中、当初の目標である「自分の人生とキャリアのため」という以上に、依頼者の皆様の人生に関わることの重さとやりがいを感じています。
今の目標は、依頼者の皆様に、「ときわ」に依頼してよかった、という安心感や幸せを提供すること。そのために、プロ意識を持って仕事に取り組むことです。まだまだ駆け出しの私ですが、日々努力と勉強を続けてまいります。
事務局片岡 樹美(かたおか きみ)Kimi Kataoka日々精進し、ときわ法律事務所に関わる方々が笑顔でいられるお手伝いをしております!
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経歴
1984年 3月 | 熊本県熊本市生まれ |
2002年 3月 | 熊本県立第一高等学校卒業 |
2013年 2月 | 弁護士法人 ときわ法律事務所入所 |
自己紹介
私は、母方の祖父母、父、母、兄という家庭で生まれました。幼い頃からおじいちゃんっ子で、生まれて間もない頃から、大人に抱かれるのを嫌がるのに、祖父に抱っこしてもらう時だけは、おとなしく抱かれていたそうです。
その頃すでに祖父にはたくさん孫がいたのですが、不思議なことに、祖父も私しか抱っこしようとしなかったそうで、ある程度大きくなるまでずっと、私の定位置は祖父の膝の上でした。
7歳の時、父が病気で亡くなりました。父と母が立ち上げたお店がオープンを迎える直前のことでした。幸か不幸か、立ち上げたばかりのお店の業務に追われ、母は家でひとり落ち込んでいる暇はなかったそうです。
当然ながら母のショックは相当なものだったようで、今でも当時のことはほとんど思い出せないといいます。仕事の面でも家事の面でも子育ての面でも、母には本当に苦労をかけたと思いますが、それを私たちに見せることはありませんでした。
小学生の頃は寂しくてお店に電話することもありました。とはいえ、祖父母と同居していたこともあり、それ以外で不自由を感じたことは一切ありませんでした。それどころか、早くに父がいなくなってしまった分、家族の結びつきがとても強くなり、今でも母とは「昔から父親兼母親だもんね」と笑い合っています。
保育園に通っていた頃はお花屋さんになりたかったのに、小学校に上がってからは「OL」という夢のない子どもでしたが、母のお店にいらっしゃる女性弁護士さんがとてもかっこよく、お話しをすればするほど、法律関係の仕事に憧れを抱くようになりました。
ただ、具体的に「この仕事に就いてこんな仕事がしたい」と思うまでには至らず、自分は何をしたいのかを考えながら就職活動をしていく中で、たまたま法律事務所の事務員の求人を見つけ、運良く就職することができました。
その法律事務所を退所してからは、しばらく別の仕事をしていましたが、日に日にまた法律事務所で働きたいという気持ちは増すばかり。そんな中で、このときわ法律事務所に出会いました。
以前勤めていた法律事務所は専門分野があり男性弁護士でした。これに対し、ときわ法律事務所は取り扱い事件が多岐に渡り、女性弁護士ということで仕事内容も事務所の雰囲気もまったく異なりました。同じ職種でもこんなにも違うものなのかと驚かされることばかりです。
法律事務所の事務員は、ご相談やご依頼をされる方と弁護士とのかけ橋だと思っています。最初にご相談のお電話をお受けするのも、来所された方を応接室にご案内するのも事務員です。そのため、お電話や来所される方々の不安が少しでも和らぐよう、また何か問題が発生した際にはお気軽にお話しいただけるよう、常に身近に感じられる存在でありたいと考えています。
まだまだこれから勉強しなければならないことばかりですが、「ときわ法律事務所に出会えてよかった」とおっしゃっていただけるよう、日々精進し、ときわ法律事務所に関わる方々が笑顔でいられるお手伝いができればと思っています。